佐藤農場は、ゆったりと広い有明海を見下ろす山間の地に、合わせて30ヘクタール(東京ドーム7個分)もの農地でみかんやレモンなどの柑橘類を作っている。それもすべて、有機栽培である。
その歴史は古く、昭和43年にみかん栽培面積80aで佐藤柑橘園を設立してから、昭和62年に全園有機栽培に切り替え、いくつもの大変な時期を乗り越えて30年以上がたった。そして、今では「有機JAS認定」を受けるに至っている。
ちなみに現在、全国のみかん農家6万人のうち、無農薬で作っているのはたった100人しかいないそうだ。
佐藤さんの話を聞く。
「みかん栽培を始めて何年か経った頃に、すごいみかんを作る生産者の奥さん達が体調をくずしたという話を聞くようになりました。薬ばかり使っていてはいかん、と思い始めました。うちは15年農薬を使って作っていたけど、ホルモン劑を使って摘果を楽にする。糖度を上げるために根が水分を吸えないように別のホルモン剤を使う。農薬や除草剤を使う、という複合汚染のために体調がおかしくなるんじゃないか?と思いいたり、いろいろなところに教えを乞いに行きました。韓国で自然農法をやっている人、嬉野で無農薬のお茶を栽培している人・・・。そういう先達に自然まかせでも作物はできると教わりました。それから、年に12回散布していた農薬を減らしていき、昭和62年には農薬ゼロで作り始めました。できたものは外見が悪いから、ジュースなどの加工用にしか売れなかった。
でも、長野県に長印という市場があり、無農薬で作っていることを伝えるとできのいいA品だけは取ってくれた。
それから徐々に広がっていき、今にいたります。」
土を柔らかく、養分のあるものにするために、さまざまな工夫を凝らした。そのうちの一つが、「草倒し農法」。
春にみかんの木のまわりに草を育て、その草を地面に倒す。そうするといい土が雨で流れ出ない。また、そこはフカフカのよい土壌になり、いいみかんが育つ。元気な身体を維持するために良い食べ物が必要なように、いいみかんを作るにはいい土が大事だという。
「みかんの木は、本来自分で養分も水分も必要なだけ取るように調節しますから。みかんの出来不出来をおてんと様のせいにするけれど、本当は余分な養分をあげちゃうから不出来になっちゃうんです。」
近年、みかん農家の高齢化が進み、後継者がいないために佐藤さんがそれらのみかん畑を引き受け、どんどん栽培面積は広がっている。
「無農薬で作って30年、最初は大変だったけれど、今では作っても作っても売れます。(笑)うちの農場は次女、そして長年働いてくれているスタッフ15人と、後継者候補は大勢いて安心して任せられるんです。」
みかん畑に連れて行っていただいた。かなり勾配のきつい斜面の丘陵地に、自由に伸びているみかんの木々には大小たくさんの実がなっている。
「うちは摘果しないんです。大きいのも小さいのもそれぞれの美味しさ。東京の人は当たりはずれがないと、小粒のみかんがほしいと言われますが。どうぞ好きなのをもいで食べてみてください。」
たわわに実っている中でも、小粒で濃いみかん色の実をもいで口に放りこんだ。きゅっと甘酸っぱい味が広がった。果物は、甘味と酸味のしっかりしたものがおいしいと常々思っている。そんな理想的なみかんである。
「或る列車」では、秋から冬にかけてNARISAWAのスィーツに佐藤農場のみかんやレモンを使っている。もの静かな農の哲学者、佐藤さんが作ったみかんのスィーツをぜひ、召し上がっていただきたい。みかん本来の美味しさが生きてるから。